無関心 de 委員会

無関心でいいんですか?

2020年7月30日:李登輝氏 永眠す。

2020年7月30日、李登輝氏が永眠されました。

1923年(大正12年)1月15日生まれ、97歳でした。

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日本統治下の台湾で生まれ、警察官の父親のもと転勤にともない転々と転校を繰り返すも、学業優秀で台北高等学校へ進学します。

皇民化運動のもと改姓名運動で「岩里政男」と名乗り、高校卒業後は本土の京都帝国大学農学部へすすみ、流暢な日本語を話し「ものを考えるときは日本語で考える」そして、「22歳まで私は日本人だった」と公言する大の親日家でした。

1944年学徒動員による日本兵として入隊し、1945年3月10日の東京大空襲では、高射砲の射手としてB29を迎え撃ったという。

敗戦後台湾へ戻りその翌年に起きた国民党政権が本省人(戦前から台湾に居た人)を武力弾圧した白色テロ「2・28事件」の恐怖体験が、のちの民主化への思いを根付かせたようです。

京都帝国大学農学部で農業経済を学び、戦後台湾に戻ってからは台湾の農村の復興のため、「中国農村復興綜合委員会」が設立されその成果を発揮していた。そして台湾大学で教鞭を執り、農業経済学の論文では全米最優秀賞を受賞するほどの学者であった。そうした成果が認められ蒋介石の後継者の蒋経国に招かれ国民党へ入党した。

蒋経国に見込まれた氏は、台北市長に任命され水不足を解消すべくダム建設をし、稲作転作など農業の発展に寄与、1984年61歳の時に副総統に就任した。そして1988年蒋経国総統が死去、副総統であった氏が本省人で初となる総統に就任した。

総統になった氏は、民主化への野望を内に秘めながら、中国本土からの圧力や国民党の一党支配の体制を徐々に変革をすすめ、1996年には台湾人による直接選挙を実現し、自らが直接選挙によって晴れて選ばれた総統となった。「台湾民主化への父」と言われる所以である。

 

氏の功績、人となりを著した本は多数発行されている。

改めて氏に関する本を手に取り、見聞を広めたいと思います。

 

以上