拉致問題を考える
拉致問題が一向に進まないままに、今年、象徴的なお二人の方が、高齢が故にお亡くなりになりました。
2月3日有本嘉代子さん、6月5日横田滋さんです。
10月24日(土曜日)救う会主催の国民大集会が開催され、救う会代表として長く頑張っておられた横田滋さんのお別れ会も執り行われました。その会でこの問題に初期から深くかかわっている西岡力救う会会長は、救う会の活動は「重い鉄の玉を押しながら坂道をあがるようなもの」と例えましたが、正にその通りだと思います。
横田めぐみさん
昭和39年10月5日生まれ
昭和52年11月15日、新潟の中学校での部活が終わり帰り道、北朝鮮の工作員に連れ去られました。
奇しくも私は、めぐみさんと同い年です。
自分のこととして、この拉致問題をしっかりと確認しておこうと思います。
令和2年5月時点で政府が「拉致」と認定している数は、12件17名
「特別失踪者」北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者を意味し、特別失踪者問題調査会の失踪者リストには470名、そして、警察が把握している特別失踪者として900名ほどいます。また、その他の行方不明者で捜査が及んでいないため未確認で、実は拉致されている方々も、もっともっといると思われます。
調査会のリストでは、古くは昭和23年から、直近では平成15年の認定者もいる。場所も北海道から九州、外国もあり、その危険性は今も排除できない。
それぞれの拉致被害者のご家族は、まずは行方不明になった家族の捜索依頼に始まり、だんだんと北朝鮮による拉致の疑念が高まってきます。そして、当時北朝鮮とのパイプが強かった社会党へ持ち掛けるが、当時の土井たか子社会党委員長は、北朝鮮による拉致を完全に否定し、かつ、北朝鮮側に被害者家族の動向を伝えるといった愚行をしている。政治家への働き掛けもなかなか進展しない中、胸襟を開き真摯に向き合ってくれた政治家は、安倍晋太郎・晋三であった。当時の自民党は金丸信、野中広務ら親中・親北派の勢力が力を持っていたため、安倍晋太郎・晋三親子は自民党の中では冷遇されていた。被害者のご家族にとって、政府、政治家らに対する失望感や無力感は、筆舌しがたいものがあったでしょう。
日本政府が拉致被害の実態を正式に認めたのは1997年、めぐみさんが拉致されてから実に20年も経過してからである。
北朝鮮が拉致を認めたのは2002年(平成14年)当時の小泉純一郎首相の訪朝による日朝首脳会談の時である。この時5人の拉致被害者が帰ることが出来ましたが、当時の北との交渉は、一旦帰国してもすぐに北に戻すことが条件だったが、官房副長官の立場で同行した安倍晋三氏が、北へ戻す約束を反故にして5人を戻すことはしなかった。
民主党政権時の松原拉致問題担当大臣は、拉致の疑いが濃厚な二人について発言はしたものの、拉致認定には至らなかったのは、国内の深い闇を考えずにはいられない。
そして、第二期安倍政権が誕生し拉致問題解決の決意表明がありました。
アメリカのオバマ政権からトランプ政権に移行し、安倍外交の真価が発揮します。
安倍総理は、トランプが選挙で勝利宣言をするや否や、アメリカへ向かいトランプ氏と会談。アジア太平洋地域と日米安保、中国事情、北朝鮮拉致問題について、しっかりとレクチャーした。トランプ氏が正式にアメリカ大統領に就任後も、安倍総理との蜜月は続き二人の信頼関係は高まりました。トランプ大統領が来日の折には、拉致被害者のご家族との面会も実現し、トランプ大統領は北朝鮮への交渉時には幾度も、拉致問題を持ち出してくれました。また、有本嘉代子さん、横田滋さんが亡くなられたときには直筆のメッセージを寄せるなど、そして娘のイバンカさんも常に胸にブルーリボンバッジをつけて絶えず拉致問題に心を寄せてくださいます。かつて、こんなアメリカ大統領がいただろうか?
今、北朝鮮は長引く経済制裁、コロナ禍、度重なる水害・台風被害、など、疲弊が色濃く、金正恩の健康不安(死亡説)まで重なり、国家として緊迫した状況にあります。では、北朝鮮がこの状況を打破するために、一縷の望みを託す選択肢は日本しかないと思われます。
拉致問題解決に向け、機は熟しつつあると願いたい。
そして、私たち国民は常にこの問題に、関心を寄せ精神的圧力を加え続けなければならないと強く思います。
国民の皆さん
この問題こそ、無関心でいいんですか?